随想:エッセイ

音楽が終わる前に 3
LAST DANCE 『ロックンロール・ラヴァーズ』

新宿の路上を漂流している男がいる。早足で歩いているのを遠くに見かけることもあるし、路上ですれちがうこともある。そのたびに私の心臓はドッキン・ドッキンと信号(シグナル)を鳴らす。私にはその男の両眼に湛えられているものを言い表す言葉を見つけることができない。両手に棒を持って、タイコをたたくようにゴミの箱をたたいているのを見たこともあるから、私は密かにその男をブルース・マンと称(よ)んでいる。
その男は明治通りのガソリン・スタンド横の歩道橋下を長いこと棲処(すみか)にしていたが、道路工事が始まってそこにいなくなった。

だいぶたってから通りの反対側、花園神社近くにある歩道橋の下を棲処にしているのを見つけたが、洒落たレストランのすぐ目の前だったせいか、すぐそこにはいなくなった。ふとんや段ボールや新聞紙や空き缶がなくなり、すっかりきれいになったその場所はいまは自転車置き場になっている。その男は、そうやって棲処をかえながら新宿の路上を漂流している。

 LAST DANCEが去年の十二月で活動を休止したから、私は心の棲処をなくし漂流している。だからといって、私は自分があの深い眼をしたブルース・マンと同じだなんて言いたいんじゃない。

 地下=アンダーグランドを漂流してた間章(あいだ・あきら)という男がいる。間章は、「僕はランチに出かける。それは闘いながら死んでいった者たちとまだ闘いつづけている者たちとの会食だ。……このランチには遅れるわけにはいかないのだ」と言って、一九七八年に三十二才で逝った。
ロック・エッセイ「僕はランチに出かける」があとに遺(のこ)った。
ニューヨークのカフェで麻薬の売人ジョーがそう呼んだように、私もここではアキラと称ぶことにする。
アキラは「女は亡びを抱えることなんてできないんだ」って言う。心の棲処をなくした私にこの言葉ははねて刺さる飛び出しナイフ。そう、女は亡びを抱えることはできない。産む性だからね。産まされる性だからね。女ができるのは、だから亡びを男から男へとつなげていくことなんだ。
アキラのいうとおり「肉体を呪うか、快楽をむさぼりつくすしかない」から女は正気ではいられない。ランボーにも、アルトーにもなれやしない。
アキラに「(女は)本当のソロ・ダンサーにはなれっこない」って言われたら、もう口を噤むしかない。だって私はアキラが本当のソロ・ダンサーだったってことを感知しているからね。「僕はランチにでかける」を読むと、アキラが亡びをかかえ、正気で、アンダーグランドをひとりで深く漂流しつづけた本当のソロ・ダンサーだったってことが感知できるからね。
私は自分が亡びをかかえているとか、ソロ・ダンサーだとかって言いたいわけじゃない。ただ、アキラもあのブルース・マンも私がLAST DANCEという心の棲処をなくたんだってことを、その存在のありさまで何度も何度も私に思い知らせるのだ。

 去年の十二月十三日、ライブの前にLAST DANCEがあと一回のライブで活動を休止すると知らされて、私は開場時間までアンティノックの階段に座り込んでつぎつぎと背中にすがりついてくる感傷をふりはらっていた。あと二回しかないLAST DANCEのライブなのに感傷なんかに邪魔をされたくはない。
この日のライブは「ロックンロール・ラヴァーズ」("ROCK・N・ROLL LОVERS")ではじまった。ヴォーカルの酒井学のかきならすギターの音が心臓を射ちぬいた。そして、「どうせひとつの恋なら……」と歌が聞こえてきた。とたんにふりはらったはずのいくつもの感傷がいちどに襲ってきて、私はその場にへたりこみそうになった。けれどもそうはならなかった。「ロックンロール・ラヴァーズ」が感傷を跡かたもなく吹きとばした。そして心がむきだしになった。

ロックンロール・ラヴァーズ     詞 酒井 学

どうせひとつの恋なら せがんだっていいじゃない
いますぐ俺につかまりゃ ぬけられる
こんな恋のためならば 殺しだってやってやる
そしたら俺天国へゆけるかい

おまえはいつもつぶやいていた
おいらにすべて賭けてみるって 承知だぜ
気ちがうほどに狂った夜を
一人占めしたおまえはバカさ 危ないぜ

誰にも邪魔はさせない
夢中がすこし欠けても HEA(ここ)RTでつながっているのさ
KEEP JUST WITH ONE DREAM

ことばなんかじゃ伝えたくない
ことばなんかじゃ伝えられない
わかるだろう HEY YOU

ヘマをするほど余裕がなけりゃ
ゲームをおりる勇気がなけりゃ つかまりな

どうせひとつの恋なら せがんだっていいじゃない
いますぐ俺につかまりゃ ぬけられる

どうせひとつの恋なら せがんだっていいじゃない
いますぐ俺につかまりゃ ぬけられる
こんな恋のためなら 殺しだってやってやる
そしたら俺天国へゆけるかい OH MY GOD

WE'RE ROCK N' ROLL LOVERS

「ロックンロール・ラヴァーズ」はむきだしになった心を容赦なく攻めたてて生きた心地がしなかった。
体が凍りついて身動きができなかった。こわかった。

去年の二月十六日にアンティノックではじめてライブを見てから十ヶ月のあいだLAST DANCE
は、私の心の棲処だった。十ヶ月といえば女が子供を一人産めるくらい長い。私はこの十ヶ月の間、一人の男につくすのと同じように百人の男につくした。百人の男につくすのと同じように一人の男につくした。子供を百人も産んだ。正気でいられた。
LAST DANCE という心の棲処で、シオランの言う「不死の感覚」で「時間を超えた日々」を過ごしていた。
アキラは「なげやりになること、行きあたりばったりになること、それが女のやさしさの本質だものね。つまりは受けいれること。この世界をね」って言う。それができない私は、この世界では全部やりそこなっている。だから、きっとアキラの識っていた「魂の脱けおちた音楽」、「めくらの音楽」と私の識っているそれとはちがうのだろう。
去年の十二月十三日、私は「ロックンロール・ラヴァーズ」でLAST DANCEでの最後(ラスト)の踊り(ダンス)を
踊った。
私は、女もやっぱりソロ・ダンスしか踊れないんだって思うから、アキラもLAST DANCE も私の踊りの相手(パートナー)とは言わないよ
アキラは私のロックンロール・ラヴァー。
LAST DANCEは私のロックンロール・ラヴァー。
そう、WE'RE ROCH N' ROLL LOVERS。

「ガレージ・ランド」 Vol.3(1993年9月)