随想:エッセイ

音楽が終わる前に 10
クール・ビューティーな凶器

銃で射つように。
棒で殴るように。
刀で切り裂くように。
手で絞めるように。
毒を盛るように。
ロックンロールが凶器となって日常生活を殺(や)ることがある。
殺られたあとの非日常には夢見心地の心地よさがある。
THE COOL BEAUTYは日常生活を殺るにとどまらず、日常と非日常の境界すら殺ってしまうおそろしい二重の凶器である。
ロックンロールが日常生活で何かの足しになるとか、生きる意欲に何か関係するとか、そんなことは一瞬で消えて失せ、そのうえ、非日常の夢見心地の心地よさも一切砕けて失せる。
THE COOL BEAUTYのCD"THE COOL BEAUTYT"は"OPEN THE DOOR"という曲ではじまっている。
ドアを開けると、そこに闇がひろがっている。光りかがやく闇。目を閉じてはじめて見えてくるかがやく光。光のなかに感じてくる廃墟の臭い。そして、聞こえてくるひび割れる寸前の音と声。それは、「おんがく」、とか、「うた」、とかいうやわらかいひびきから、はるかに離れている。

ガラクタ

傷だらけの歪んだ声であやしく笑う
嵐の中で夢を見るよな光をさがす
俺の大切なガラクタ
傷だらけの壊れた声であやしく笑う
嵐の中で夢を見るよな光をさがす
俺の大切なガラクタ

傷だらけの壊れた声であやしく笑う
嵐の中で砕け散るよな光をさがす
俺の大切なガラクタ
俺の大切なガラクタ
(詞 富田浩章)

 そのおそろしい音と声とを聞いたものは、もはや逃れることはできない。THE COOL BEAUTYのおそろしい実在は、非日常から日常への境界を消し去り、どこまでも廃墟がつづいている。入るときにあったはずのドアは消えている。もはや還るところはない。
なによりもおそろしいのは、二重の凶器であるTHE COOL BEAUTYに殺意はまったくないということなのだ。

THE COOL BEAUTYのドアを開けさえしなければ、何も、起こらない。

(ミッドナイト・プレス 14 号)