随想:エッセイ

音楽が終わる前に 8
ラント アンド レイヴ 『カウボーイ・スター』

 新宿・大久保。膨張しつづけるコリアンタウン。
大久保通りと職安通り。ふたつの通りをあみだくじのように結ぶ何本もの細い路地。
その狭いエリアに大小まちまちな、焼肉屋、韓国食料品店、屋台、韓流スターのグッズやCD、韓国民族衣装・工芸品などを売る店が、まるでおしくらまんじゅうでもしているかのようにぎっちぎちに軒をつらね、ハングル文字と韓国語が主流のコリアンタウン。
以前は、いかにも馳星周の『不夜城』の主人公、劉健一が暗躍してそうな、昼夜をたがわずシーンとした感じの怖いところもあったのに、いまはどこも躁状態。ほんとはいまでも怖いところなのかもしれないけれど、「ヨンさま命」のおばさまたちもおねえさまたちもそんなことにはおかまいなし。地図を片手に元気いっぱい。
職安通りを西に進み、西武線とJRのガードをくぐると、小滝橋通りにぶつかる。ここまでくるとさすがの膨張もとどかず、風景が一変する。
車がくるたびに店の前を蟹歩きで歩かなければならないくらい狭かった通りが、大幅に拡張整備されてきれいになって、殺風景でガランとしている。
取り壊しを待つばかりの古い木造の建物がまだ二、三軒取り残されているとはいえ、コンビニもあるし、ホテルもある。そびえたつタワーマンションの一階にはスーパーマーケットも入っている。だから人がいないわけじゃない。

なのに気配がすごく希薄でガランとしている。
街も人間もおなじ。

躁になったり、鬱になったり。平安はなかなかつづかないということか。
RANT & RAVE(ラント アンド レイブ)がライブをやるCLUB DOCTORというライブハウスは、そんなガランとした、鬱状態みたいなところにある。

どこを見ても、いくらさがしても、ここらへんに西部劇の荒野なんかない。
なのにRANT & RAVEのメンバーたちはカウボーイハットにガンベルト、ジーンズにブーツといういでたちで、パン! パン! と銃を撃ちながらステージに上ってくる。

そりゃ昔はカウボーイたちが
戯れロデオにガンプレイ
でも今じゃこの有様さ
俺のあの娘も何処かに消えちまった
(『UNDER THE NAME OF COWBOY』より)

 NOBUYAがギターをかき鳴らしながら歌う。
「コンセプトは"ウエスタン"。デニムスーツに身を包み、ウエスタン・ハット、バンダナ、ガンベルト、カウボーイ・ブーツにはスパー(拍車)を付け、ピースメーカーを撃ちまくる。荒野をさまようイカれたカウボーイたち!」ホームページのバンド・プロフィールにはそう書いてある。だから、すくなくともステージの上だけでも西部劇の荒野になるかというと、そうはならない。
それじゃあ、RANT & RAVEはいったいここでなにをしているのか?
西部劇が好きでもないのに、どうしてこんなにRANT & RAVEが好きになるのか?
カウボーイとか、ガンプレイとか、生きる足しになるとはとても思えないのに、どうしてこんなにRANT & RAVEに夢中になるのか?

どうして? どうして? なんで? なんで?
RANT & RAVEとはいったいなんなのか?

 バンド・プロフィールによれば、「ウエスタンを基調としつつ、カントリーやロカビリー、パンクを取り入れたサウンドに哀愁のメロディー。そしてウエスタンの根源でもある"フロンティア・スピリッツ"をテーマにした詞とが織りなすRANT & RAVEの"BEAT WESTERN"」ということになるのだが、わかりたいのはこういうことじゃない。
とにかく楽しいんだからわからなくたっていいじゃない。
あれこれ考えるなんてどーでもいいじゃない。こんなに楽しいんだから。
ゴチャゴチャ理屈をいわずにドーンといっちゃえばいいじゃない。
そう、それでいいのかもしれない。でも、そうはいかない。
どうして夢中になるのか? そのわけがわかりたい。
RANT & RAVEとはいったいなんなのか? それがわかりたい。
これが私の宿痾なのだからしかたがない。
ライブはそうあるわけではない。だからわけがわかりたければ、RANT & RAVEのアルバム『FRONTRIER49』を聴くしかない。
くりかえしくりかえし何回も聴く。曲順どおりに何回も。シャッフルして何回も。
ところが、聴くたびにCLUB DOCTORでの楽しかったライブの光景がうかんできて、わけがわかるどころじゃない。
ライブの最後に「そうさあいつは俺の憧れの 西部きってのならず者 ピストルひとつ握りしめ 荒野を駆け抜けてく……」ではじまる『カウボーイ・スター』を聴いてたときなど、「かっこいー」
を連発していたほどだった。
RANT & RAVEのなにがかっこいいって、NOBUYA、NAKAMURA、HANABUSAの三人の姿かたちなんかより、もちろんそれもかっこいいけど、三人のつくりだす音そのものがかっこいい。わくわく、わくわく。「かっこいー」、「かっこいー」。
あまりにもかっこいい音にすっかり見蕩れて身動きがとれなかったくらいだった。
音楽とは即ち「音が楽しい」ということなのだ。
そうやって『FRONTRIER49』を何回か聴いているうちに、「都はるみ」っていう名前がぽっとうかんできた。そう、演歌歌手といわれる都はるみ。それがてがかりになった。

 もう十四、五年も前のこと、たぶん、歌手復帰後まもなくのライブ中継だったと思う。たまたま入った定食屋のテレビに都はるみが映っていた。
新宿駅東口にある「富士一」という定食屋。奥が調理場で、四人がけのテーブル席が七つか八つあって、注文をとるのも運ぶのも会計も全部おばさんひとりでこなすというこじんまりとした、昔ながらの定食屋。
店に入ってすぐ右の壁の高いところにテレビが備えつけられていて、シーズン中だったら野球中継がかかっていたはずだから、その時期じゃなかったのだと思う。
とにかく、空いている席に着いて注文をしたあと、テレビを見たら都はるみが映っていた。
広いステージの上でひとり、振袖姿で舞うように都はるみが歌っている。楽しそうに歌っている。
えっ? 都はるみってこんな歌手だったっけ? 驚いた。
歌っているのが、曲調も歌詞も、私にとっては縁もゆかりもないといえそうな演歌らしい感じのものなのに、テレビの画面から目が離せない。
目が離せないから、お行儀悪くてもしかたがない、テレビを見ながら食事をするしかなかった。 
そのままずうっと見ていたかったが、夕食の混んでる時間帯にいつまでも定食屋でねばっているわけにはいかない。しかたなく店を出た。
そのかわり、次の日すぐに都はるみの復帰後のはじめてのCD『ぬばたま』を買いにいった。
『ぬばたま』は演歌というくくりをはずしたいっていう歌ばかりで、そのときは、「その志やよし」って感じただけだったが、それから二年くらいあと、ただジャニス・ジョップリンが特集されているというだけで「RUDIES CLUB」っていう山川健一がやっていた雑誌を買ったら、それに都はるみのインタビューが載っていて、それを読んで、あのときあんなにテレビの画面にくぎづけになったわけがわかった。
都はるみ(正確には復帰後の)はすばらしい歌手だということがわかった。だからあんなにくぎづけになったのだ。
RANT & RAVEと都はるみっていうのもそうだが、都はるみとジャニス・ジョップリンっていう組み合わせも、「えっ?」っていう感じ。ちなみにジャニス・ジョップリンとRANT & RAVEなら、ちょっとわかる。
あのときテレビで都はるみを見ていたから、「えっ?」って驚いていたから、インタビューを読むのも真剣になった。
「RUDIES CLUB」には、都はるみのほかにカルメン・マキ、SHO―TA、金子マリなんかのインタビューも載っていたが、この三人とジャニス・ジョップリンの組み合わせならあたりまえで、「やっぱりね」って納得してそこで終わっちゃう。
「えっ?」って驚いたことは大切にすること。それが、知らず知らずにきめつけていたことを考えなおすきっかけになる。
都はるみはインタビューでジャニス・ジョップリンのことをこんなふうに語っている。

「彼女のドキュメンタリー映画の『ジャニス・ア・フィルム』は衝撃的でした、「どうして、この人はここまでできるのか!」って。もうあれは女性というより、人間そのものとして、はるかに超えてますね。どうしてあそこまでできるんでしょう。きっと、彼女はいつ死んでもいいと思ってやっていたんでしょうね。「いつ死んでもいい」という思い切りが、私はやっぱり負けてます」

「『いつ死んでもいい』という思い切りが、私はやっぱり負けてます」って。

うーん、うなった。
それで、どうして都はるみがRANT & RAVEをわかるてがかりになったかというと、それは、「歌詞じゃない」っていうこと。
前にも書いたが、RANT & RAVEって「カウボーイ」とか「ガンプレイ」とか西部劇という架空の世界っていうか、絵空事っていうか、そういうことを歌っている。
都はるみの歌っていることも、私にとってはたいてい絵空事。たとえば、今回十年ぶりくらいで『ぬばたま』を聴いてみて、いちばん気に入ったのは、谷村新司作詩作曲の『涙あふれて』という演歌の曲調の歌で、それには我ながらびっくりしたのだが、その歌詞はこんなものである。

いっぱい愛して
少し愛されて
ささいな言葉に
死ぬほど傷ついて
別れの朝 東京は雨の中
小さくなるあなたの背中
涙でにじむの だけど忘れないわ

これでは、どう考えても絵空事。
それが、都はるみが歌うと聞き惚れてしまう。
だから「歌詞じゃない」、「声」だと思ったのだ。
都はるみもRANT & RAVEのNOBUYAも声が魅力。
ふたりとも、その人しかだせない「人間性の年輪」とでもいえるようなものが声ににじみでている。

「自分の思うような歌を歌えていなかったし、こんなところで着物を着て、髪の毛結って、よく意味もわからないような歌を歌ってていいのかなって、私は思ってましたから。作られてしまっていたから。自分の意思といったものが、何もなかったんです。だから、こんなことをやらなくても、私には他に進めた道がもっとあったんじゃないだろうかと思いながら、ずっとやってたんです。今のように仕事(歌いたい歌を歌うこと)ができていたならきっと辞めることもなかったと思います。
それに一回辞めてみたら、自分のやってきたことや歌謡界のやってることを、すごく冷静に見ることができたんです。それは本当に普通のおばさんに戻れたのかもしれない。ものすごく大きなことをやってきたと思ってたのが、なんてちっぽけなところで勝負してたんだろうとも思えたし。でも、ちっぽけなところといっても、二十年私はやってきたんだから、それはきっと奥が深いんだと、また考え方が変わったわけです」(都はるみ/インタビューより)

「ずっとアマチュアでやってますから、バンドでいい思いをしたことはないですよ。
兄貴の影響でARBとかRCサクセッションが好きになったのがきっかけで七〇年代の終わり、十三歳ではじめてギターを弾いたときから、いままで二十年以上バンドをやってきて、いつも悔しい思いばかりしてるんですよ。思うようにできなくで。これでいいって思えるライブができたことってほとんどないです。自分の中には完成されたものがあるのに、それが表現できない。悔しいですよ。バンドというのは、ほかのメンバーがいるわけですから仕方がないのかもしれませんが。いまのメンバーになってからは、すこしいいかなって感じがするときがありますけど。
曲作りもアレンジも全部自分でやって、メンバーにはそのとおりにやってもらうというやり方です。
いまはボーカルもやってますが、それはライブの前に急にヴォーカルがやめちゃってしかたなくはじめたわけで、歌詞を書くのも得意じゃない。だいいち思ったことを言葉にするのがうまくないですから」(NOBUYA)

音楽のジャンルでもない、歌詞の内容でもない。
やりたいことを自分が納得するまで追求するという誠実さと真剣さが、歌う人の声ににじみでて、それが人の心を揺り動かすのだ。
NOBUYAは、本人も言っているように、もともとボーカリストではなく、ギタリストである。
だから、声よりもギターの音色でもっともっと人の心を揺り動かす。
曲作りも、アレンジも、歌詞も全部自分でやって、おまけにギターを弾いて歌も歌う。だから
RANT & RAVEはほとんどまるごとNOBUYAっていってもいいくらいなのだが、それに、NAKAMURAのぶんぶんときまる官能的なベースと、HANABUSAのびしびしっときまる適音適所のドラムがそれに加わって、RANT & RAVEをガーッと前におしだす。まったく迷いのない、思いっきりのいい演奏。はんぱじゃない、ほんと。
これでは、夢中にならないほうがおかしい。
RANT & RAVEがステージでやっているのは、誠実さと真剣さで人の心を揺り動かすこと。感動させること。
そして、RANT & RAVAEとはいったいなんなのかというと、それは「人間性の年輪」をもったロックンロールバンドだということ。
ここまでわかれば『カウボーイ・スター』も、絵空事どころか、じゅうぶん生きる足しになる歌に
聴こえてくるから不思議である。
自分が自分にフロンティア・スピリッツをもたなければ。自分が自分のフロンティアにならなければ。
こうしてRANR & RAVEは、私の憧れのイカれた、イカしたカウボーイ・スターになったのだ。

COW BOY STAR 詞:NOBUYA

そうさあいつは俺の憧れの
西部きってのならず者
ピストルひとつ握りしめ
荒野を駆け抜けてく

奴の噂を聞いて怯えてる
町を牛耳る無法者
イカれたカウボーイやって来る
乾いた風と共に

誰もがみんな恐れてる
風に吹かれたTumblin Weeds
あいつが俺の憧れの
Oh、イカれたカウボーイ・スター

I Wanna Be a Cowboy Star
I Wanna Be a Cowboy Star 

不気味な笑いを浮かべては
やりたい放題 撃ちまくる
町を荒らして 去っていく
硝煙の臭い残し

誰もがみんな恐れてる
風に吹かれたTumblin Weeds
あいつが俺の憧れの

Oh、イカれたカウボーイ・スター  

I Wanna Be a Cowboy Star
I Wanna Be a Cowboy StarI

誰もがみんな恐れてる
風に吹かれたTumblin Weeds
あいつが俺の憧れの
Oh、イカれたカウボーイ・スター
Oh、イカれたカウボーイ・スター
Oh、イカれたカウボーイ・スター
Oh、イカしたカウボーイ・スター

追記
NOBUYAが「あの日のライブは、めったにないんですが弾けました」と語ってくれたように、六月一日のライブは演奏する側も満足のいくものだったらしい。それだけに、この日を最後にベースのNAKAMURAが脱退したのは残念なことであるが、次なるRANT & RAVEを楽しみに。

「ガレージ・ランド」 Vol.11(2005年12月)