随想:エッセイ

音楽が終わる前に 13
Zoophilia

現実の何をどう感じとったら、「なくした物さがしてる/俺のその想いすら響いてる/水はそう同じ音だから/悲しいね 君もまた悲しいね」(「Gift」より)という歌詞ができるのか。肉体のどこをどう使ったらあのボーカルになるのか。何がどうなったら、自分の弾くギターに感電しているようなギターになるのか。何がどうなったら、ボーカルやほかの音を聴きながら弾いているとはとても思えない一心不乱のベースになるのか。何をどうしたら、あのボーカル、あのギター、あのベースの土台となり、なおかつバンド全体を前面に叩き出すドラムになるのか。そして、水谷俊介(Vo&G)、濱島真太郎(G)、岡田純明(B)、緒方達也(Dr)の4人がどうなったら一体となって、ズーフィリアというものになるのか。

それは、もてるものをすべて出しきることで、もてるもの以上のものになるのだろうとしかいいようがない。
坂口安吾が『青春論』で「対坐したのでは猥褻見るに堪えがたくてなぐりたくなるような若者が、サーカスのブランコの上へあがると神々しいまでに必死の気魄で人を撃ち、全然別人の奇蹟を行ってしまう」と書いているそのとおりの奇蹟。

奇蹟は、分析不能、解釈不能。信じるだけ。4人の必死の気迫がひきおこす奇蹟が現実に自分の目の前で起こっていることに心底打たれるだけ。神々しさに撃たれるだけ。

(TRUE CROOK Vol.10)